多摩ニュータウンの歴史多摩ニュータウンは縄文・飛鳥時代から続く「3代目」!?【2024-03-26更新】 | LIXIL不動産ショップ多摩センター店 中央企画

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多摩ニュータウンの歴史
2024-03-26

多摩ニュータウンの歴史

本日の朝日新聞朝刊に興味深い記事が。
「多摩ニュータウンは、縄文時代から人が住んでいるみたいですよ」多摩、八王子、町田、稲城の4市にまたがる巨大ニュータウンの意外な情報に、多摩住民の端くれとして調べずにはいられなかった・・・と朝日新聞多摩地域面の記事は始まる。



京王線・小田急線と多摩都市モノレールの三線が乗り入れる、ハローキティに会える街「多摩センター」駅を降り立つと、近くには屋内型のテーマパーク「サンリオピューロランド」の存在が。
そんなピューロランドから少し歩くと、ビルの合間に突如として竪穴式住居が出現する【東京都埋蔵文化財センター】があります。
同センターの長佐古さんによると、「今の多摩ニュータウンは、3代目と言えるかもしれませんね」とのこと。
多摩ニュータウンの開発に伴い、これまで約40年にわたる調査で見つかった遺跡数は964にものぼるそうですが、初代の「ニュータウン」は縄文時代で、5千年ほど前の大規模な集落も確認されているそうです。
京王堀之内駅の近くでは275軒もの住居跡が見つかるなど、まさに「縄文版住宅団地」の様相です。
動物を狩ったり植物を採ったりするのが生活の中心だった縄文時代においては、起伏が多く、日当たりや水辺など様々な事前環境にも恵まれていたご当地は【一等地】だったみたいですね。

そして「二代目」のニュータウンが出現したのは、飛鳥時代だった7世紀とのこと。
詳細は割愛しますが、この時代は「工業団地兼住宅団地」のような位置付けで発展したようですね。

そして現代の「3代目」。多摩ニュータウンへの入居が始まってから半世紀の50年以上の時が経ち、ニュータウンに住まう住民も高齢化が進んでいるなか、この先どんな進化変化をしていくのか、「歴史ある」ニュータウンの未来が楽しみになった。
として記事は締めくくられています。

多摩市地域未着の不動産事業者として、古団地のリノベ再生にも取り組ませていただいている弊社としても「3代目」多摩ニュータウンの未来の一翼を担う存在となってゆきたいものです。
 

ページ作成日 2024-03-26